塩釜聖書バプテスト教会
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終わりの日には

12/30/2025

 
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見たことば。
終わりの日に、
主の家の山は山々の頂に堅く立ち、
もろもろの丘より高くそびえ立つ。
そこにすべての国々が流れて来る。

多くの民族が来て言う。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。
主はご自分の道を私たちに教えてくださる。
私たちはその道筋を進もう。」
それは、シオンからみおしえが、
エルサレムから主のことばが出るからだ。
主は国々の間をさばき、
多くの民族に判決を下す。
彼らはその剣を鋤に、
その槍を鎌に打ち直す。
国は国に向かって剣を上げず、
もう戦うことを学ばない。
(イザヤ書 2:1-4 SKY2017)

これは紀元前700年ごろのイスラエルの預言者イザヤが、将来起こるであろう世の終わり、つまり終末について預言している箇所です。

その日はあらゆる国の人々がイスラエルの首都エルサレムに集められると書かれています。実はいま、エルサレムに世界中から人々が集まっています。イスラエルは紀元70年ローマ軍によって制圧されて、135年(バル・コクバの戦い)に完全に国を失いました。それ以降、ユダヤ人たちは地中海沿岸を中心に世界のあらゆる国々に散って住み始めました。

しかし1948年に奇跡がおきました。それはイスラエル国家が長い年月を経て、再び同じ場所に再建したのです。以来世界中に散らばっていたユダヤの血統を持つ人々がこの場所に戻ってきています。特に近年世界中でユダヤ人たちに対する迫害が強まり、逃げるようにしてイスラエルに戻って来る人々が増えています。彼らのパスポート上の国籍は、自分たちが生まれ育った国のものです。
このようにしてあらゆる国々の人々が、エルサレムに集められているのは、聖書の預言の成就が近づいていることを私たちに知らしめています。

次に、その日、神は各国の不正や争いを正しく裁かれます。その結果として、国同士は争いをやめます。
人々は武器を農業の道具に変えます。もやは武器には価値がなくなるからです。人間が理想としている社会を、神はいつの日か実現されます。

今イスラエルは戦争の最中にあります。聖書は「イスラエルのなすこと全ては正しい」とは一言も語っていません。むしろ、神に対する不誠実さによって引き起こされたイスラエルに対する災難の歴史が描かれています。70年のローマ軍による破壊もその一つです。しかしながら、聖書は一貫して「イスラエルは神に愛されている」を強調しています。神はどんなに不誠実であっても、諦めずに愛して、イスラエルとご自分の関係修復を歴史の中で達成されるのです。そして終わりの日は、このイスラエルやその首都エルサレムを中心に、世界に平和をもたらす計画を神はお持ちなのです。

クリスマスをなぜ祝うのか

12/17/2025

 
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
(ヨハネの福音書 1:1 SKY17)
この聖書箇所はイエス・キリストについての説明を使徒ヨハネがしているところです。

「はじめ」とは世界の初めのことです。すなわち天地創造の時です。

​天地創造の時、この地上には何も存在しておらず、神の「ことば」だけがそこにありました。そして、その「ことば」が、世界を創造したのです。そしてその「ことば」が、イエスであったということです。つまりイエスは神であったのです。

(ちなみに、新改訳聖書はこのイエスの神性を強調するために、あえて「言葉」を「ことば」という平仮名にしているようです。)

さて、イエスは、聖書を通して多くの言葉を残してくださいました。
例えば「受けるよりも与える方が幸いである。」(使徒20:35)という言葉です。

彼の人生は、まさにこの言葉通りの人生でした。

彼は人々の体と魂を癒し、嫌われた者たちの友となり、彼が持っている全てを他の人々のためにささげて、神を宣べ伝えました。

一方で彼は、神であるにもかかわらず、汚い家畜小屋に生まれ、家族や親戚から村八分にされ、宗教家たちから迫害され、弟子たちに裏切られ、最後は不当な裁判にかけられて十字架で死刑になりました。

彼は、ご自身が神であるということで人々から何かを奪うことも、威圧することもせず、逆に自分の人生を謙遜に人々に分け与えました。

そして最終的に神の救いの計画----人類が受けるべき神の裁きを、神なるイエスが代わり背負われて十字架の死を通して贖罪を完成し、人々に永遠の命を与える---を達成されました。

まさに「受けるよりも与える方が幸いである」をその人生において実践されたお方でした。

イエスにとって、ご自身が発した「ことば」は、他人へのメッセージだけはなく、ご自身の存在を表す「ことば」でもあったのです。

聖書を通して残されているイエスの「ことば」は、イエスが責任をもって発した言葉であり、信じるに値する言葉です。

クリスマスは、この「与える」神が2000年前に、この地上にお生まれになったことを記念してお祝いする日なのです。

    執筆者

    牧師の大友です。聖書から私が学んだことを分かち合っていきたいと思います。

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