塩釜聖書バプテスト教会
Shiogama Bible Baptist Church
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聖書を理解するためには、、、

9/30/2025

 
兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。
(ローマ人への手紙 10:1-3 SKY17)
パウロは同胞のユダヤ人たちの熱心さを認めつつも、彼らがキリストを受け入れない為に、真の知識に達しておらず、結局は彼らは神の為にではなく、自分の為に生きている事を指摘しています。

旧約聖書を読み解く鍵はイエス・キリストです。キリストを神として受け入れるなければ、真の意味で聖書が理解出来ないのは、今も同じです。

聖書を単なる歴史書や神話として読むか、それとも救いにいたる真理の言葉として受け取るかは、まさにこの事にかかっているのです。

最良のものが与えられる

9/29/2025

 
わたしは あなたの神 主である。
わたしが あなたをエジプトの地から連れ上った。
あなたの口を大きく開けよ。
わたしが それを満たそう。
(詩篇 81:10 SKY17)


しかし主は 最良の小麦を御民に食べさせる。
わたしは岩から滴る蜜で あなたを満ち足らせる。」
(詩篇 81:16 SKY17)
信仰の心を持って、自分に与えられた神の国の働きのビジョン達成を、大きく信仰の口を開いて神に求める時、神は最善の結果を私たちに与えてくださいます。
神は私たちの信仰の度合いに従い、恵みを注いでくださいます。信仰とはどれくらい神に信頼するのかと言う事です。自分に能力が無くても、神が必ず成し遂げてくださると信じるのです。

御国が来ますように!

イエス様の心の広さ

9/27/2025

 
しかし、イエスは言われた。「やめさせてはいけません。わたしの名を唱えて力あるわざを行い、そのすぐ後に、わたしを悪く言える人はいません。
わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です。
まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。
(マルコの福音書 9:39-41 SKY2017)

キリスト教の歴史は、神学の歴史でもあります。

聖書をどのように捉え、どのように読み、どのように解釈するのかは、その時代背景によって大きく変わります。例えばかつてのヨーロッパのように100%クリスチャンのような環境で生まれた神学と、日本のようにほとんどクリスチャンがいない環境で生まれた神学とでは当然のことながら大きな違いがあります。

歴史の中で生まれてきた各神学に従い「教派」と呼ばれる教会の群れも生まれてきました。カトリック、ルター派、改革派、バプテスト派、メソジスト派、聖霊派などがそうです。終末論、聖さん論、教会論、リーダーシップのあり方、バプテスマのあり方、千年王国の理解、イスラエルに対する考え方などで各派主張が違います。

各派、自分達の神学とその伝統を大切にしているため、自分達だけで集まり、あまり他の教派と関わりを持たなくなる場合があります。そうするとどうしても、独善的になったり、他の考え方に対して批判的になったりしてしまう場合があります。

上記の聖書箇所でも、イエス様の弟子たちが、他の人々がイエスの名前を使って活動することに、とても批判的になっています。しかしイエス様は「わたしたちに反対しない人は、わたしたちの味方です」と語られています。これは弟子たちにとって大きな視点の変換でした。

私たち現代に生きるクリスチャンも、このようなイエス様の視点が求められているように思います。独善的になり、自分達だけが神の御心を行っていると考える誘惑から守られる必要があります。


基本的にイエス様は、ご自身に反対しない人々、あるいはクリスチャンでなくてもクリスチャンを応援してくれる人々を敵とは見なしておられないということは忘れないでいたいものです。

私たちはどうしても心が狭くなりがちです。しかしイエス様の心はこんなにも広いのです。

暗闇から光へ

9/17/2025

 
私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
(使徒の働き 26:15-18 SKY2017)
イエス様は、人々が闇の支配者であるサタンの支配の中を歩んでいると語られました。
神の形に似せて創造された人間は、神の善と義を受け継いでいます。しかし、アダムとエバがサタンにそそのかされて罪を犯し、その「神の形」は非常にいびつな形になってしまいました。そのいびつな形は、オリジナルにはなかった他者を傷つけてしまう鋭利な部分(聖書では「罪」と呼んでいます)も持ち合わせるようになりました。だから、人間が生きている社会に身を置けば、お互いに、精神的、霊的、感情的な部分で、何かしらの傷がつくようになってしまったのです。どんな良いと思われる人々に囲まれているとしても、その事は起きてしまいます。

その惨めな状態をイエス様は「サタンの支配」と言いました。サタンによってもたらされた、人の罪の世界です。この世界から私達を引きあげる為に、主イエスは、この地上に来てくださり、十字架を通して救いの道を提示してくださいました。そして、ご自身が地上に残された聖霊様を救われた人々の上にお与えになりました。そしてその聖霊様によって、私達は、本来人間があるべき姿に少しずつ戻されて行くのです。

賛美の重要性

9/16/2025

 
神よ 私の心は揺るぎません。
私の心は揺るぎません。
私は歌い ほめ歌います。
私のたましいよ 目を覚ませ。
琴よ 竪琴よ 目を覚ませ。
私は暁を呼び覚まそう。
(詩篇 57:7-8 SKY2017)
ダビデは敵に追い込まれた時に、賛美を歌う事にしました。演奏には琴や竪琴が使われました。
そうする事で、彼は失望によって眠ってしまっていた自分の魂を目覚めさせて、天にまで及ぶ神の素晴らしさに目を留めさせたのです。

賛美とは神に向かい歌うものですが、同時に自分自身への語りかけでもあります。それを助けるために良い歌詞が必要であり、良い演奏が必要です。楽器は人の心を開く神から与えられた大切なツールです。

ただ、賛美には様々なスタイルがありますので、好みは分かれるかもしれません。

ダビデはかつて、敵の手に渡ってしまった神の箱が自分の町に戻った時、ものすごくはしゃいで賛美しました。しかし当時の妻はその事を喜ばず、冷ややかな目で夫を見ました。そのスタイルは彼女の好みではなかったのです。しかし、彼女のこの夫に対する行為は神に喜ばれませんでした。妻とは裏腹に神はダビデの賛美を喜んで聞いておられたのです。


賛美は単なる好き嫌いの事柄ではなく、私たちの魂を神に向ける大切な行為です。だから違うスタイルの音楽で熱心に賛美をささげる者たちを、自分の好みだけで、簡単に批判せず、彼らの内側に働いておられる神に目を留めたいものです。


もしあなたが今日落ち込んでいるならば、賛美を主に捧げましょう。ちなみに私は、時々YouTubeでお気に入りの賛美を検索して、動画を見ながら主を賛美しています。

主が何とかしてくださる

9/15/2025

 
あなたの重荷を主にゆだねよ。
主があなたを支えてくださる。
主は決して
正しい者が揺るがされるようにはなさらない。
(詩篇 55:22 SKY2017)

誰もが重荷を負いながら生きています。
例外は1人もいません。それが人の世だからです。
でも、苦しすぎる現実もあります。
ダビデは、最も信頼していた親友から裏切られ、心が引き裂かれそうになっていた時に、この詩を書きました。彼の心は非常に重かったのです。重荷はどこかに置かなければ、いつかその重さに潰されてしまいます。
しかし物理的な重荷はどこかに降ろせても、心の内側の重荷はどこにも降ろせません。ダビデは自分の心の重荷を神に委ねる事にしました。そして自分で相手にやり返す事なく「正しい者」として神の前に歩む決心をしたのです。ダビデは相手への憎しみ怒りは、全て神に伝えて、後は神にお任せしました。
暗闇に私たちを引きずり込もうとする重荷は、なるべく早く主にお任せしましょう。主が何とかしてくださいます。

施しをする

9/3/2025

 
「こう言いました。『コルネリウス。あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前に覚えられています。』」
(使徒の働き 10:31 SKY2017)


どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。
(使徒の働き 10:35 SKY2017)

コルネリスは、イエス様の時代のローマ軍に属する百人隊長と呼ばれる、社会的にかなり高い地位にいた人物でした。しかし、その権力を彼は自分の為ではなく、周りの人々を助け、施しをする為に使っていました。

このコルネリスは、ユダヤ人ではありませんでしたが、聖書が語る神こそが本物の神であると考えて、聖書の教えに従っていました。

しかしユダヤ人は、自分たちの血統以外の人々、つまり「異邦人」には神の救いが及ぶとは考えておらず、また異邦人と積極的に関わらないようにしてました。

イエス様の一番弟子のペテロもそう考えていたので、基本的に彼はユダヤ人に対してしか伝道していませんでした。

しかし、ペテロは神に導かれて、コルネリウスに出会う事になりました。そして、コルネリスにも神の救いが及んでいる事を確かめました。

この時からユダヤ人達は、異邦人も教会に招き入れるようになりました。ですから、コルネリスは、異邦人宣教の始まりを象徴のような人物として、歴史の中で神に選ばれたのです。

神がコルネリスをそのようにしてお選びになったのは、彼の聖書に基づいた神への信仰と、その他者を愛する生き方が一致していたからでした。

「施し」は、多くの教会で忘れ去られている行為ですが、神が教会に望んでいる本質的な行為です。


施しをするキリスト者や教会に、神は目を留めてくださるのです。

    執筆者

    牧師の大友です。聖書から私が学んだことを分かち合っていきたいと思います。

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