「ですから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。
また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
(マタイの福音書 13:18-23 SKY17)
この聖書の箇所で、イエス様は、聖書の言葉を聞いた人々の4つの反応について語っています。
ある人々は、聖書の言葉を聞いても、それが大切だとは思わないので、心の奥深くに神の言葉を入れません。よって、その人の人生には何の変化も現れません。
一方である人々は、神の言葉が本当に大切だと思い、心の奥深くに神の言葉を入れ、神の言葉がその人の生き方を造り変えて、愛、喜び、安心、分かち合う気前良さなどの豊かな祝福を神からいただくことができます。
この聖書箇所は非常に示唆に富み、様々な教えが含まれています。しかし1つ確かに言える事は、神の言葉を自分の心の中で、どのように位置づけるかで、その人の人生において神の言葉が生きて働くか、あるいは死んで何の効力も発揮しないかが決まると言う事です。
ある人は、知的なレベルで神の言葉を受け止めるでしょう。知的なレベルなので、興味や好奇心はあっても、神の言葉は、その人に何の変化も与えません。
ある人は、少し進んで、聖書が神の言葉であると認めるでしょう。しかし、それを心の真ん中にではなく、外側の部分に置いているので、何か困難があった時には、神の言葉がその人を助ける事はありません。むしろ自分の心の中心に据えてある他の価値観や生き方に従って、物事を解決しようとするので、結局は何の変化も、その人の人生には起こりません。
しかし、心の真ん中に神の言葉を置き、神の言葉を自分の世界観と決めて生きている人々には、人の能力や考え方を超えた、神の祝福の約束が必ず実現していくのです。
牧師と言う立場で、多くの人々に神の言葉を分かち合い、その後の人生にも寄り添って来ましたが、このイエス様のお言葉は、確かにそうであると心から同意します。
キリストを信じると言う事は、人生の真ん中にキリストを置くということです。そうすることなしに、キリストが与えようとしている祝福は決してその人に及ぶ事はあり得ないと言う事です。
神の言葉なるイエス・キリストを心の中心にお迎えしましょう。
だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。道端に蒔かれたものとは、このような人のことです。
また岩地に蒔かれたものとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
しかし自分の中に根がなく、しばらく続くだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
茨の中に蒔かれたものとは、みことばを聞くが、この世の思い煩いと富の誘惑がみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
(マタイの福音書 13:18-23 SKY17)
この聖書の箇所で、イエス様は、聖書の言葉を聞いた人々の4つの反応について語っています。
ある人々は、聖書の言葉を聞いても、それが大切だとは思わないので、心の奥深くに神の言葉を入れません。よって、その人の人生には何の変化も現れません。
一方である人々は、神の言葉が本当に大切だと思い、心の奥深くに神の言葉を入れ、神の言葉がその人の生き方を造り変えて、愛、喜び、安心、分かち合う気前良さなどの豊かな祝福を神からいただくことができます。
この聖書箇所は非常に示唆に富み、様々な教えが含まれています。しかし1つ確かに言える事は、神の言葉を自分の心の中で、どのように位置づけるかで、その人の人生において神の言葉が生きて働くか、あるいは死んで何の効力も発揮しないかが決まると言う事です。
ある人は、知的なレベルで神の言葉を受け止めるでしょう。知的なレベルなので、興味や好奇心はあっても、神の言葉は、その人に何の変化も与えません。
ある人は、少し進んで、聖書が神の言葉であると認めるでしょう。しかし、それを心の真ん中にではなく、外側の部分に置いているので、何か困難があった時には、神の言葉がその人を助ける事はありません。むしろ自分の心の中心に据えてある他の価値観や生き方に従って、物事を解決しようとするので、結局は何の変化も、その人の人生には起こりません。
しかし、心の真ん中に神の言葉を置き、神の言葉を自分の世界観と決めて生きている人々には、人の能力や考え方を超えた、神の祝福の約束が必ず実現していくのです。
牧師と言う立場で、多くの人々に神の言葉を分かち合い、その後の人生にも寄り添って来ましたが、このイエス様のお言葉は、確かにそうであると心から同意します。
キリストを信じると言う事は、人生の真ん中にキリストを置くということです。そうすることなしに、キリストが与えようとしている祝福は決してその人に及ぶ事はあり得ないと言う事です。
神の言葉なるイエス・キリストを心の中心にお迎えしましょう。
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