塩釜聖書バプテスト教会
Shiogama Bible Baptist Church
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与える幸い

5/26/2025

 
そのため、争いが、アブラムの家畜の牧者たちと、ロトの家畜の牧者たちの間に起こった。そのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
アブラムはロトに言った。「私とあなたの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に、争いがないようにしよう。私たちは親類同士なのだから。
全地はあなたの前にあるではないか。私から別れて行ってくれないか。あなたが左なら、私は右に行こう。あなたが右なら、私は左に行こう。」
(創世記 13:7-9 JDB)

アブラム、後のアブラハムは非常に謙遜で相手を思いやることができる人物であったことがわかります。土地を分け合うときに、本来であれば自分が最初に選ぶ事も出来たのに、甥に先に選ばせて、自分は残りの土地を受け取ると言うことをしました。

良いように見えた土地はソドムとゴモラという地域でしたが、その場所に住む人々は邪悪で、後々彼らは神に滅されてしまいました。その裁きの時に、ロトは自分の妻を失ってしまいました。

「受けるよりも与えるほうが幸いです。」(使徒20:35)というイエス様のお言葉がありますが、アブラハムはまさに与える人であり、与える事によって災いから避ける事が出来ました。

アブラハムは、神の約束に従い、後々ユダヤ人、アラブ人、そしてクリスチャンの父祖と呼ばれるようになりますが、神は「与える人」を選ばれて、世界中を祝福するご計画をお立てになりました。

世の中は、貪欲さを求めてきます。しかし、アブラハムのように、与えることで祝福される人生を送りたいものですね。

父なる神との親密さ

5/20/2025

 
知れ。
主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
私が呼ぶとき 主は聞いてくださる。 
(詩篇 4:3 JDB)


ダビデは、神が自分を特別に扱ってくださるという確信を持っていました。それはまさに、父と子の関係のようなものでした。
私たちもまたキリストを救い主として受け入れた時に、神の子となり、神を「天の父」と呼ぶ特権を受けます(ヨハネ1:12)。
そして親子として、神と特別な関係に入れられます。


良い親は、子の言うことに耳を傾け、その心を知ってくださるお方です。
話しかける息子や娘をうとましく思われる方ではありません。
ですから私たちの祈りを、父は喜んで聞いてくださいます。
どんなに拙くても、どんなに足りなくても、主は聞いてくださいます。
ただし、お経のように繰り返す必要はありません。
聞いてくださっている方は、人格を持った方ですから。


ではどうやって父の声を聞くのか。
第一に神の言葉である聖書を通して私たちは父の声を聞くことができます。
第二に、教会の交わりの中で、父の語りかけを受けることができます。
教会は神の家族で、父なる神の元に集まった共同体です。そこには父の心を受け取った人々がたくさんいます。
そして父の教えは彼らの人生や決断、生き方、言動を通して滲み出ています。
父なる神は見えなくても、父に愛されている者たちがそこにいます。
でも全ての人間は弱さもありますので、完璧な教会はないことも理解しないといけません。
教会で人の弱さを見た時は、そんな弱さも受け止めて愛してくださる父がおられることを私たちは悟る必要があります。


主イエスを通して私たちは神との特別な関係に入れられたこと、これは当たり前ではなく大きな特権です。
この特権を生かして、父に親しく語りかけ、またその声に耳を傾けていきましょう。
主は私たちを特別に扱ってくださいます。

次世代に向き合う力

5/13/2025

 
──万軍の主はこう言われる──
再び、エルサレムの広場に、
老いた男、老いた女が座り、
みな長寿で手に杖を持つ。
都の広場は、
男の子と女の子でいっぱいになる。
子どもたちはその広場で遊ぶ。
──万軍の主はこう言われる──
もし、これがその日に、
この民の残りの者の目には不思議に見えても、
わたしの目には、不思議に見えるだろうか。
──万軍の主のことば。」

万軍の主はこう言われる。
「見よ。わたしは、わたしの民を
日の出る地と日の沈む地から救い、
彼らを連れ帰り、
エルサレムのただ中に住まわせる。
このとき、彼らはわたしの民となり、
わたしは真実と義をもって彼らの神となる。」
(ゼカリヤ書 8:4-8 JDB)

ゼカリヤを通して、バビロニアによって滅ぼされ廃墟になっていたエルサレムが、将来どのようにして回復していくのかのビジョンがここでは語られています。そこは、あらゆる世代の人々が共に集い、喜びが溢れる場所となると言うのです。そしてそれは「不思議」な風景として人々の目に映ると言うのです。

教会が高齢化して、後は閉じられていくのを待っていると言う状況が日本各地で起きています。しかし、主が与えてくださる回復のビジョンは正反対です。

このビジョンはおそらく、基本的には教会の中でクリスチャンホームの次世代に信仰のバトンが確かに渡された時に達成していくビジョンで、地域の外部の子ども達が中心になって実現する事ではないような気がします(もちろん例外もあるとは思いますが)。

聖書全体、特に牧会書簡を通してわかる事は、教会の成長は、各家庭の成長を通して始まると言う事です。信仰者である親が、自分の子ども達にしっかりと向き合い、愛しながら信仰のバトンが手渡されて行く時、その家庭は祝福され、その家庭を起点に地域の子ども達が祝福の渦に巻き込まれて行くと言うイメージが最も自然な考え方のように思います。

子どもに健全に向き合い、子どもが健全に育つと言うのは、「不思議」な事かもしれません。でも、その事をなす力をイエス様は私たちに与えてくださるのです。主に期待します。

SNSは救えない

5/8/2025

 
たとえ 人が自分自身を
生きている間に祝福できても
あなたには物事がうまく行っていると
人々があなたをほめたたえても。
そのたましいは 代々の先祖のところに行く。
そこでは永久に光を見ることはない。
人は栄華のうちにあっても 悟ることがなければ
滅び失せる獣に等しい。
(詩篇 49:18-20 JDB)


今日の聖書箇所でわかることは、人には人を救うことはできないと言うことです。どんなにその人が生きている間に賞賛されたとしても、それがその人のたましいの行き先を決めるわけではないのです。究極的なことを言えば、神がそのたましいの生き方を決めると言うことです。

SNSは人の称賛をどれくらい多くもらえるのかを競い合う場所になっています。どれくらいのフォロワーがいるのか、どれくらいの「いいね」がつくのか。それによって一喜一憂します。

そしていつしか、自分が本当に考えていることよりも、相手を喜ばせようとする投稿が増えていくのかもしれません。

しかしSNSで届けられるのは自分の生活の一部の情報だけです。

私の成功も、失敗も、醜さも知りながら、なお私のことを愛そうとしてくれる人に人生で出会えるかどうかのほうが、100万人のフォロワーよりも大切なことです。

イエス・キリストは、誰があなたを見捨てたとしても、信じる者を決して見捨てることがないお方です。そしてあなたのたましいを永遠に導きお世話してくださるお方です。

この方がいる限り、世の中も捨てたものではないのです。人の変わりやすい評価ではなく、キリストの変わらない評価を求めていきたいですね。

宣教にロマンスはないが、それでも大丈夫

5/7/2025

 
 子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」 (黙示録6:9,10)

現在、アメリカのクリーブランドのパークサイド教会という場所で行われているカンファレンスに参加しています。そしてこの教会が長い間サポートしているインドのアイザック宣教師からお話を聞くことができました。

彼が宣教報告の冒頭で言ったことは「宣教にロマンスはない」と言うことでした。つまり宣教は綺麗事ではないと言うことでした。インドでは統計で見ると、2時間に1人のクリスチャンがその信仰のゆえに殺されているそうです。

あるインドの若いご夫妻の話を聞きました。このご夫妻には三人の子供がいますが、夫はクリスチャンになったことで殺されました。また妻は襲われて襲った人の赤ちゃんをその体に宿しているそうです。

アイザック宣教師は奥様と一緒に、このように信仰による迫害のために苦しんでいる人々のためのトラウマケアにも取り組んでいるそうです。

日本においてもかつて、秀吉から江戸時代にかけて非常に厳しい迫害がキリシタンに対してありました。遠藤周作の「沈黙」などを読むと当時の生々しい迫害の様子がわかります

迫害は本当に恐ろしいことです。しかし神は、そのような迫害をする者たちの魂をいつか必ず正しく裁き、殺された人々の魂はよみがえらせ、永遠のやすらぎの中にいれてくだいます。

信仰がない人にとっては、このような生き方は、あまりにも無謀、あまりにも残酷、そしてあまりにも滑稽に映るかもしれません。

しかし、クリスチャンにとっては、迫害の中でもキリストに従い続けている人々の後ろ姿を見ることは、大きな励ましとなります。また、キリシタンが命がけで徳川や地域の迫害の中にあっても信仰を守り通したと言う歴史は、私たち現在の日本人クリスチャンを励まします。

それは、この信仰によって約束されている「永遠のいのち」の希望が、彼らの人生を通してありありと私たちに伝わってくるからです。そして私たちもまた、彼らの生き方に倣い、キリストに命をかけて従いたいという新たな決意を与えてくれるからです。

今回のカンファレンスでは、塩釜教会のこれからの5か年の宣教計画のための土台を受け取って帰りたいと願っています。お祈りください。
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悟りを与える方

5/1/2025

 
それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。』エルサレムから開始して、
あなたがたは、これらのことの証人となります。
(ルカの福音書 24:45-48 JDB)

よみがえられたイエスは弟子達にあらわれて、混乱していた彼らに対して、ご自分の死と復活の意味について、聖書の壮大な物語の文脈から丁寧に教えられました。

「聖書を悟らせるために彼らの心を開いて」とあります。弟子達の心は霊的な意味で閉じられていて、イエスの話しを理解する事ができませんでした。しかし、イエスは超自然的な力で彼らの心を開き、弟子達がその聖書物語を理解出来るように手伝ってあげました。

私達も正直聖書を読んでいて分からない部分が出てきます。しかしそんな私達が理解出来るように、イエス様は私達の心も開いて、悟りを与えてくださるお方です。

主に期待しましょう。

    執筆者

    牧師の大友です。聖書から私が学んだことを分かち合っていきたいと思います。

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