塩釜聖書バプテスト教会
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破れ口に立つ方

4/18/2026

 
「この地を滅ぼすことがないように、わたしは、この地のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口に立つ者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった。
それで、わたしは彼らの上に激しい憤りを注ぎ、激しい怒りの火で彼らを滅ぼし尽くし、彼らの頭上に彼らの生き方を返した──神である主のことば。」
(エゼキエル書 22:30-31 SKY17)


紀元前586年。


イスラエルの首都エルサレムは、神を愛さなかったために厳しい裁きを神から受けることになりました。何度警告しても、彼らが神の言葉に耳を傾けなかったからです。神は遠くバビロニア(現在のイラン)の軍勢をエルサレムに送り、エルサレムは滅ぼし尽くされた。


警告のために遣わされた預言者は、聞く耳を持たないイスラエルのために嘆き悲しみました。彼らは「破れ口」に立って、イスラエルが神の裁きによって引き裂かれないように努力しました。しかし預言者たちにはそれができませんでした。


それから2500年以上経ったエルサレムに1人の男性が遣わされました。それがイエス・キリストです。


キリストが30数年と言うその短い人生の中で達成された事は、かつて預言者達が達成できなかった事、つまり神と人との間の「破れ口」に立ち、人々の代わりに、神の前に引き裂かれ、十字架にかかられて死に、ご自身を信じる者が神の裁きに会わないようにする、ということでした。


キリストは最初イスラエルに遣わされました。しかしイスラエルに住む人々はキリストを受け入れませんでした。それから2000年以上経過しましたが、神は今でもイスラエルと言う国が悔い改めることを待っておられます。神の、イスラエルに対する救いの物語は今でも続いているのです。


一方で、神の裁きは、イスラエルだけに下されるものではなく、神から離れて生きている人類一人ひとりに下されるものと聖書は語ります。聖書は、預言者達がイスラエルに語りかけたように、今、私たちに語りかけられている神の言葉であり、そこには警告が含まれています。


キリストを信じるという事は、神なき人生を送って来た事を悔い改め、破れ口に立ってくださったキリストを人類の唯一の救い主と認め、感謝し、キリストと共に歩む事を自覚的に選び取るという事です。


神なき人生を送り、世の名声や、富や、欲望を追求する人々には、神の最終的な裁きを待たずして、多くの痛みが発生します。特に家族関係や人間関係の中に痛みが顕著に現れます。それが「破れ口」です。


神を忘れて生きると言う事は、自分中心に生きる事です。その自己中心の生き方は、他者との関わりにおいても反映されてしまい、周りの人々を傷つけます。結果として、人間関係の中に破れ口が広がるのです。


しかし、キリストに従う者は、人を愛する事を教えられます。そしてその愛を実践していく時、破れ口が少しずつ回復していきます。痛みが少しずつ和らいでいくのです。これは、神がキリストを通して私たちに与えてくださる奇跡です。


神は私たちを滅ぼしたいのではありません。むしろ、痛みの中に生きている私たちに癒しと解放を与えたいと心から願っておられる方です。そして私たちと、仲良く共に歩んで行きたいと願っておられるのです。


今も、破れ口に立ち続けて、私たちの人生に回復を与えてくださるイエス様の守りと祝福が皆様の上にありますように。

人の幸せのために

4/7/2026

 
「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたは、わたしの口からことばを聞き、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。
わたしが、悪い者に『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪い者に悪の道から離れて生きるように警告しないなら、その悪い者は自分の不義のゆえに死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。
もしあなたが悪い者に警告を与えても、彼がその悪と悪の道から立ち返ることがないなら、彼は自分の不義のゆえに死ななければならない。しかし、あなたは自分のいのちを救うことになる。
(エゼキエル書 3:17-19 SKY17)


預言者エゼキエルは、イスラエルに対して神から警告するようにと言葉を託されました。


人の罪や過ちを指摘する事は、決して楽しい作業ではありません。あるいは相手から恨みを買ったり、無視されたり、攻撃されたりします。


エゼキエルも同じ状況でした。しかし神は彼に責任を与えました。そしてイスラエルの民に悔い改めを迫るように伝えたのです。


彼は黙っていることもできました。しかし黙っているならば、今度はエゼキエルが神の裁きを受けなければなりませんでした。


神は私たちに忠告を与える方です。その忠告に従うかどうかはその人の自由です。しかし、その結果はその人自身で受け止めなければなりません。時としてあなたの過ちを指摘してくる人がいるかもしれません。その時、あなたは、その言葉が誰によって語られているのかを悟らなければなりません。あるいは神がその人を通してあなたに語りかけているのかもしれません。


あるいはあなたが誰かのことを指摘しなければならない時が来るかもしれません。それをそのまま語らずにいるならば、神の前に責任を取らなければいけなくなります。


しかし、覚えておきたい事は、その指摘が神の愛から出ていると言うことです。もし人が誰かの忠告によってその悪から離れることができるならば、それはその人の人生を破壊や破滅から守ることになります。神は誰も滅びることを望んでおられません。


ただし、あなたのその愛の言葉が、人に届かない時があるでしょう。嫌われる時もあるかもしれません。でもそれは仕方がないことです。神はあなたのその勇気ある行為を知って喜んでくださっています。


人が幸いな人生を送るために、時として誰かが嫌な役回りをしなければなりません。その役回りを、預言者エゼキエルは受け取ったのです。

    執筆者

    牧師の大友です。聖書から私が学んだことを分かち合っていきたいと思います。

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