塩釜聖書バプテスト教会
Shiogama Bible Baptist Church
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神への愛の動機

3/24/2026

 
「ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
(ルカの福音書 7:47 SKY17)


人々から嫌われていた女性が、イエスの元にやってきました。おそらくこの女性は自分の体を売って生活していました。


彼女はイエスのもとに来ると、ひざまずいて高価な油をイエスの足に塗りました。


こういった香油は、身分の高い人やお金持ちによって使われていました。彼女の行為は浪費であると捉えられました。また女性が男性の足を人の前で触ると言う行為も、一般的な感覚から言えば、当時はタブーでした。食事の席でこのことが行われたので、その場所いっぱいにその香りが満ちました。


人々は思いました。なぜイエスはこの人を受け入れているのだろうか?なぜ彼女がお金を無駄遣いしているの咎めないのか?


そんな彼らに対してイエスが語った言葉が今日の聖書箇所です。


彼女は自分のライフスタイルを好んではいませんでした。むしろそのようにしてしか生きていけない自分の身を憎んでいました。


当時は非常に強い男性中心社会でした。仕事は男性のものであると信じられていました。結婚できなかったり、戦争で夫を失ったりすると、女性は生活の手立てがありませんでした。ですから、人が嫌がる仕事につくしかありませんでした。不特定多数の男性と寝ると言う事は、聖書の教えにも反することでした。


ですから、彼女の魂はうめいていたのです。


罪とは、人間が神に対して犯す過ちのことです。犯罪は人が人に対して犯す過ちであり、人が作った法律によって裁かれます。しかし神に対する罪は、神ご自身がお裁きになります。


彼女の魂の叫びは、もちろん人から嫌われ、疎まれている事からも来ていましたが、それ以上に自分自身が神を裏切りながらしか生活できないその状況に対する嘆きから来ていました。


彼女は本来神を心から愛して生きていきたいと思っていました。しかし一方で、自分が神から遠く離れているとも知っていたのです。


イエスはそんな彼女に罪の赦しを宣言しました。それは神にしかできないことでした。イエスは神でした。だからそのことができたのです。


彼女はイエスを信じました。そして自分が神の前に受け入れられていることを心から喜びました。


その表れとして、高価な香油をイエスの足に塗ったのです。


そこにいた人たちは皆、イエスがなぜこのような行為を彼女にお許しになったのか、到底理解できませんでした。しかしイエスはこの行為を彼女の神に対する愛の表れとして受け止めたのです。


人それぞれ神に対する愛の表し方は違います。他の人から見れば突拍子もないようなことに見えることもあるかもしれません。


それでも神は喜んで受け止めてくださいます。罪許された者の喜びを、神は否定されません。


神の愛を知りたければ、自分がどれほど神の前に罪深いものであるのかを知る必要があります。


クリスチャンになるという事は、立派な自分になることではなく、自分が神からどれほど離れたものであるのかを自覚する事です。そしてそこに神に対する感謝と愛が生まれるのです。

神のものは神へ

3/12/2026

 
それからイエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造った。垣根を巡らし、踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。
収穫の時になったので、ぶどう園の収穫の一部を受け取るため、農夫たちのところにしもべを遣わした。
ところが、彼らはそのしもべを捕らえて打ちたたき、何も持たせないで送り返した。
そこで、主人は再び別のしもべを遣わしたが、農夫たちはその頭を殴り、辱めた。
また別のしもべを遣わしたが、これを殺してしまった。さらに、多くのしもべを遣わしたが、打ちたたいたり、殺したりした。
しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。
すると、農夫たちは話し合った。『あれは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる。』
そして、彼を捕らえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てた。
ぶどう園の主人はどうするでしょうか。やって来て、農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。
(マルコの福音書 12:1-9 SKY17)


農夫たちは主人に働く場所が与えられていました。彼らはぶどう畑で収穫したぶどうのほとんどを自分のものにすることができた。しかしその1部は主人に返さなければならなりませんでした。


主人は自分が当然受け取るべきわけ前を受け取るために、自分の部下を農夫たちのもとに遣わしましたが農夫たちは、その部下を恥ずかしめて追い返しました。主人は最終的に息子を遣わしましたが息子は殺されてしまぃした。農夫たちは収穫の全てを自分のものとしたいと考えたからです。


彼らは自分の生活を支えてくださっている主人に感謝せず、裏切り、自分のことしか考えませんでした。彼らはいずれ主人も殺してやろうと考えていた事は明白です。


しかし、主人は黙っていませんでした。そして農夫たちは自分達がしてしまった当然の報いを受けたのです。


これは人間と神の関係を表しています。
人間は、神によってたくさんの祝福を受けて生かされているにもかかわらず、神を無視し、神から与えられている神の言葉である聖書(部下)を無視し、神の独り子であるイエス・キリスト(息子)に対して敵対心をもっています。


私たちは私たちに与えられている人生の労苦の結実の大半を喜び、楽しむことができます。農夫たちも収穫の分け前のほとんどを自分のものとすることができました。しかし、すべてを自分のものとしようとする時、私たちは最終的に神の裁きを受けます。


私たちが神に対してできる最高の感謝の表し方は、聖書に従い、イエス・キリストに従う事です。神のものを神へとお返しする事です。


今日も私たちを生かしてくださっている神様に感謝して歩んで参りましょう。

    執筆者

    牧師の大友です。聖書から私が学んだことを分かち合っていきたいと思います。

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