イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」
これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。
(ヨハネの福音書 18:8-9 SKY2017)
これは、イエス座が十字架に付けられる前に、彼を捕まえに来た兵士たちとのやりとりの一部です。
イエス様はこれから起こるであろう事をすべて知っておられました(18:4)。十字架につく事も、ユダ以外の弟子達が自分から逃げていく事も。
でも自分が裏切られたり、見離されたりしたとしても、ご自分は弟子たちを決して見離す事はなさいませんでした。むしろ、彼らを兵士たちから守るために、自らすすんでご自分の身を明かし、弟子達に兵士たちが危害を加えないようにお願いしました。
最後の最後まで、弟子たちに、神の愛を示してくださいました。しかしそれは当たり前の事ではありませんでした。イエス様は弟子達の裏切りに心を痛めておられましたが、それでも謙遜に、自分が痛みを担う事で、彼らに危害が及ばないようにされたのです。
神の愛は具体的な愛、つまり自分が他者のために痛みを担う愛なのです。
これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。
(ヨハネの福音書 18:8-9 SKY2017)
これは、イエス座が十字架に付けられる前に、彼を捕まえに来た兵士たちとのやりとりの一部です。
イエス様はこれから起こるであろう事をすべて知っておられました(18:4)。十字架につく事も、ユダ以外の弟子達が自分から逃げていく事も。
でも自分が裏切られたり、見離されたりしたとしても、ご自分は弟子たちを決して見離す事はなさいませんでした。むしろ、彼らを兵士たちから守るために、自らすすんでご自分の身を明かし、弟子達に兵士たちが危害を加えないようにお願いしました。
最後の最後まで、弟子たちに、神の愛を示してくださいました。しかしそれは当たり前の事ではありませんでした。イエス様は弟子達の裏切りに心を痛めておられましたが、それでも謙遜に、自分が痛みを担う事で、彼らに危害が及ばないようにされたのです。
神の愛は具体的な愛、つまり自分が他者のために痛みを担う愛なのです。
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