.主よ 立ち上がり
人間が勝ち誇らないようにしてください。
国々が御前でさばかれるようにしてください。
主よ 彼らに恐れを起こさせ
国々に思い知らせてください。
自らが人間にすぎないことを。
セラ
(詩篇 9:19-20 JDB)
これは紀元前1000年ごろのイエスラエル王国のダビデ王によって書かれた詩篇の一部です。彼は王でありながら自分自身は神の前に何者でも無いことを認めていました。神はそのような謙遜なダビデのリーダーシップと、その国を祝福してイスラエルは豊かな国へと成長して行きました。
ダビデ王の統治から約400年後、イスラエルはダビデ王の様な謙遜な王を失い、バビロニア帝国に滅ぼされ、支配されました。帝国を最も栄えさせたネブカデネザル二世が当時の王でした。物凄い勢いで勢力を拡大させて、力で国々をねじ伏せ、それぞれの場所から優秀な人物は首都バビロンに連れてきて、自らの国の繁栄のために仕えさせました。
このネブカデネザル王は、ある時自分に似せた大きな金の像を作り、王が指定した時間に、その金の像を人々に拝ませました。どの時代においても、支配者の行き着くところは、自分自身を神のような存在に祭り上げる事ですが、この王もそのような事をしました。
しかし、拝まない人々がいました。それが、イスラエルから連れて来られた3人の男性達でした。彼らはその高い能力を見込まれて、地方を治める権威を与えられていた人々でした。しかしながら、金の像を拝まなかったので、王は彼らを呼び寄せて理由を聞きました。そうすると、彼らは自分たちが信じているイスラエルの神以外を礼拝する事はないし、そのためであれば死ぬ覚悟さえあることを恐れずに王に伝えました。
何でも支配できると考えていた王にとって、言うことを聞かない、自分を恐れないタイプの人々に出会うことは、大きな驚きであり、また怒りを引き起こすことでもありました。
王はこの3人を、火の中に投げ入れる様に命じました。火力を最大にしたために、その火の炉に近づいた王の家来達は焼け死んでしまいました。しかし火の中に入れられたこの3人は決して燃え尽きることはありませんでした。燃える火の中で、この3人に加えてもう1人誰かがこの3人と一緒にいました。それが誰だったのかは聖書は明確に語っていませんが、王にはそれが確かに見えました。信じる者と共にいてくださる神が、人の形をとって彼らと共にいてくださったと解する事ができます。
王は、彼らを火の中から戻し、彼らを助け出したイスラエルの神を褒め称え、この神がバビロニアの中で賛美されるように人々に命じました。どんなに大きな権力を誇る王であっても、本当の神を消し去ったり、神を信じる者の信仰を取り去ったりする事はできませんでした。彼はこの一件を通して、自分は神ではない事をはっきりと悟ったのです。
結局の所、この聖書の神が歴史を支配し、人の命を支配しておられます。ネット上では、他人を見下し、自分が知者である事を流布している人々をよく見かけます。しかし、最終的にはこの神がお許しにならなければ、何も物事は進んではいかないのです。
政情や経済が不安定になればなるほど、私たちはヒーローを求めます。しかし、どんな人であれ、この神の前では「人間にすぎない」のですから、高すぎる期待をしてはなりません。
歴史を動かし、本当の意味で人類を祝福し、幸いを与えてくださる神に、最も高い期待をかけながら、今日も歩んで行きましょう。
人間が勝ち誇らないようにしてください。
国々が御前でさばかれるようにしてください。
主よ 彼らに恐れを起こさせ
国々に思い知らせてください。
自らが人間にすぎないことを。
セラ
(詩篇 9:19-20 JDB)
これは紀元前1000年ごろのイエスラエル王国のダビデ王によって書かれた詩篇の一部です。彼は王でありながら自分自身は神の前に何者でも無いことを認めていました。神はそのような謙遜なダビデのリーダーシップと、その国を祝福してイスラエルは豊かな国へと成長して行きました。
ダビデ王の統治から約400年後、イスラエルはダビデ王の様な謙遜な王を失い、バビロニア帝国に滅ぼされ、支配されました。帝国を最も栄えさせたネブカデネザル二世が当時の王でした。物凄い勢いで勢力を拡大させて、力で国々をねじ伏せ、それぞれの場所から優秀な人物は首都バビロンに連れてきて、自らの国の繁栄のために仕えさせました。
このネブカデネザル王は、ある時自分に似せた大きな金の像を作り、王が指定した時間に、その金の像を人々に拝ませました。どの時代においても、支配者の行き着くところは、自分自身を神のような存在に祭り上げる事ですが、この王もそのような事をしました。
しかし、拝まない人々がいました。それが、イスラエルから連れて来られた3人の男性達でした。彼らはその高い能力を見込まれて、地方を治める権威を与えられていた人々でした。しかしながら、金の像を拝まなかったので、王は彼らを呼び寄せて理由を聞きました。そうすると、彼らは自分たちが信じているイスラエルの神以外を礼拝する事はないし、そのためであれば死ぬ覚悟さえあることを恐れずに王に伝えました。
何でも支配できると考えていた王にとって、言うことを聞かない、自分を恐れないタイプの人々に出会うことは、大きな驚きであり、また怒りを引き起こすことでもありました。
王はこの3人を、火の中に投げ入れる様に命じました。火力を最大にしたために、その火の炉に近づいた王の家来達は焼け死んでしまいました。しかし火の中に入れられたこの3人は決して燃え尽きることはありませんでした。燃える火の中で、この3人に加えてもう1人誰かがこの3人と一緒にいました。それが誰だったのかは聖書は明確に語っていませんが、王にはそれが確かに見えました。信じる者と共にいてくださる神が、人の形をとって彼らと共にいてくださったと解する事ができます。
王は、彼らを火の中から戻し、彼らを助け出したイスラエルの神を褒め称え、この神がバビロニアの中で賛美されるように人々に命じました。どんなに大きな権力を誇る王であっても、本当の神を消し去ったり、神を信じる者の信仰を取り去ったりする事はできませんでした。彼はこの一件を通して、自分は神ではない事をはっきりと悟ったのです。
結局の所、この聖書の神が歴史を支配し、人の命を支配しておられます。ネット上では、他人を見下し、自分が知者である事を流布している人々をよく見かけます。しかし、最終的にはこの神がお許しにならなければ、何も物事は進んではいかないのです。
政情や経済が不安定になればなるほど、私たちはヒーローを求めます。しかし、どんな人であれ、この神の前では「人間にすぎない」のですから、高すぎる期待をしてはなりません。
歴史を動かし、本当の意味で人類を祝福し、幸いを与えてくださる神に、最も高い期待をかけながら、今日も歩んで行きましょう。