さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」
それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。
(出エジプト記 13:17-18 JDB)
エジプトの王ファラオは、寄留していたイスラエル人を手放したくはありませんでした。イスラエル人が、良い労働力だったからです。神が選び指導者として立てたモーセは、この王に対して何度もイスラエルの民を出て行かせるようにと伝えました。しかし王は中々イスラエルを出て行かせませんでした。驚くほどこのエジプトの王は頑強でした。そのために、エジプトは神によってもたらされた多くの災いを体験することになりました。最後は、エジプトのすべての長子が殺されてしまうという恐ろしいことが起きました。最終的に、ファラオは渋々イスラエルを出て行かせました。
このようにしてイスラエルは約束の地であるカナン(現在のイスラエル)に向かって旅を開始しました。民の数は非常に多く、男子だけ60万人いたそうです。エジプトからカナンへは北上していかなければなりませんでしたが、通常その道すがらペリシテ人の土地を通らなくてはなりませんでした。しかし神は、民がペリシテ人を見て、心変わりしてエジプトに戻りたいと言わないように、その近道には導かれませんでした。
ファラオは頑なでしたが、イスラエルの民もまた頑なでした。彼らは中々神を信じる続けることができませんでした。困難が起こるたびに、モーセに文句を言い、エジプトに戻りたいと言いました。
神はこのイスラエルの弱さを知っていました。ですので、見せる必要のない事柄に関しては、彼らには見せませんでした。彼らの信仰がさらに揺らぐことがないようにする配慮でした。
神が私たちから遠ざけている情報もあるいはあるかもしれません。それは神が私たちの弱さを知っておられるからです。知らないことも恵みであり、神の配慮なのです。
それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。
(出エジプト記 13:17-18 JDB)
エジプトの王ファラオは、寄留していたイスラエル人を手放したくはありませんでした。イスラエル人が、良い労働力だったからです。神が選び指導者として立てたモーセは、この王に対して何度もイスラエルの民を出て行かせるようにと伝えました。しかし王は中々イスラエルを出て行かせませんでした。驚くほどこのエジプトの王は頑強でした。そのために、エジプトは神によってもたらされた多くの災いを体験することになりました。最後は、エジプトのすべての長子が殺されてしまうという恐ろしいことが起きました。最終的に、ファラオは渋々イスラエルを出て行かせました。
このようにしてイスラエルは約束の地であるカナン(現在のイスラエル)に向かって旅を開始しました。民の数は非常に多く、男子だけ60万人いたそうです。エジプトからカナンへは北上していかなければなりませんでしたが、通常その道すがらペリシテ人の土地を通らなくてはなりませんでした。しかし神は、民がペリシテ人を見て、心変わりしてエジプトに戻りたいと言わないように、その近道には導かれませんでした。
ファラオは頑なでしたが、イスラエルの民もまた頑なでした。彼らは中々神を信じる続けることができませんでした。困難が起こるたびに、モーセに文句を言い、エジプトに戻りたいと言いました。
神はこのイスラエルの弱さを知っていました。ですので、見せる必要のない事柄に関しては、彼らには見せませんでした。彼らの信仰がさらに揺らぐことがないようにする配慮でした。
神が私たちから遠ざけている情報もあるいはあるかもしれません。それは神が私たちの弱さを知っておられるからです。知らないことも恵みであり、神の配慮なのです。
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